川が川を奪う?
〜流路変更の謎〜


 東急大井町線の等々力駅から少し南の方向に歩くと、 等々力渓谷という東京区部では珍しい本格的な渓谷がある。 真上を交通量の多い環状八号線が横切っているにもかかわらず、 渓谷内は深い緑に覆われており、 そこが世田谷区内であるとは思えないほどの 豊かな自然空間を形成している。

 この渓谷を流れる谷沢川は、 用賀付近の湧水に端を発し多摩川に注いでいる。 等々力渓谷は、この川が多摩川の手前で 河岸段丘を流下することによって作られたようだ。 しかし谷沢川の流路の一部には地形的に不自然なところがある。 図1は 谷沢川流域の地図を30mの等高線を境に、 高低差を判読しやすいように色分けしたものだ (標高30mより高い部分を着色)。 この図の谷沢川が等々力渓谷に入る手前のあたりに注目してほしい。 北西方向から流れてきた谷沢川は、大井町線の等々力駅の少し西の辺りで 急に進路を南に変え、渓谷へと入っていく。 ところが谷沢川が形成してきたと思われる谷底低地 (図1では 標高30m以下の白い部分にほぼ相当)は、 川が南に折れた後もそのまま東へ伸びて行き、 その先は九品仏川が作る谷底低地に連続するように吸収されてしまう。 九品仏川と谷沢川の上流部分が一本の谷筋で結ばれてしまうのだ。 これはいったい何を意味するのだろうか。

 実は谷沢川の上流部は、元々九品仏川の一部だったのだ。 では何故現在のような流路に変わったのだろうか。 どうもその辺りの事情については、完全に解明されてはいないらしく、 調べた限りでも二通りの説がある。

 ひとつは、川の浸食作用により流路が変更されたとする説だ。 谷沢川は、元々不動滝(等々力渓谷内に現存)をはじめとした 段丘面からの湧水を源流とする短い川であった。 それが谷頭浸食によって段丘面を掘り込みながら流路を伸ばし、 その結果九品仏川の流れを取り込んでしまったというもので、 このような現象は河川争奪と呼ばれている。 等々力渓谷は、この争奪により一気に水量を増した谷沢川の下刻作用により、 深い谷になったことになる (争奪までの経過は 図2 のようになると思われる)。

 もう一方の説は、人為的に川が付け替えられたとするものだ。 これは段丘からの湧水による力だけでは、 谷沢川が台地の地盤を侵食し流路を伸ばすことは不可能であったとし、 さらにこの付近の河川が、一様に広い谷底低地(谷地)を形成しているのに対し、 等々力渓谷のみが縦侵食による深い渓谷を形成し得たことは、 著しく不自然であると考えるものだ。 そこでこの河川の付け替えは、 九品仏川流域にある水田の排水などを目的として、 人の手によって行われたとするのである。

 前者の説では地形学的に無理があるとのことだが、 後者の説でも大工事であるにもかかわらず 記録が見つかっていないという点では決め手に欠けている。 真相については今後の研究が待たれるところだ。

 しかしどちらにしても谷沢川の上流部分が、 かつては九品仏川であったことはほぼ間違いなく、 その様子が地図の上からでも容易に確認できるので、 ここでは簡単な地形判読の例として紹介した。

 図1には この例以外にも特徴的に地形を捉えることのできる箇所があるので、 ついでに紹介しておこう。

 地図の下側、真ん中よりやや右よりのあたりに、 四方をほぼ川に囲まれるかたちで台地が存在する。 いわゆる田園調布の高級住宅街なのだが、このようにして見ると、 そこだけが周囲の低地と比べて際立って高いことがわかる。 いかにも涼しげな様子ではないだろうか。 これだけでも、この場所は成るべくして 高級住宅地になったのだと納得してしまうこともできる(とりあえず)。

 このように、特に難しいことをする訳ではなく、 標高が30mより高いか低いかという視点で地形を見るだけでも、 結構いろいろな事を読み取ることができる。 実用上ではあまり意識することのないと思われる地図の地形表現だが、 ほんの少し意識するだけで地図から得ることのできる情報は 何倍にもなり、面白さは増すのである。

※現在九品仏川は、ほぼ全ての区間が暗渠化されてしまい、 その上が緑道になっているようだ。





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