”多摩川両岸の同一地名”についてソーマ研究員の報告(1)


  今度はこの地域の象徴ともいえる多摩川について考えてみよう。
  暴れ川でもあった多摩川沿岸には、川を隔てた両岸で同一の地名が多く見られる。 こうした例を拾ってみると


●左岸●●右岸●
下丸子(東京都大田区)中丸子・上丸子(川崎市中原区)
等々力(東京都世田谷区)等々力(川崎市中原区)

  これらは元々一つの村だったが、流路の変化により分断されその後東京府と 神奈川県に別れた。今でも神奈川県側に旧流路の名残りを見て取れる。
  ちなみに川崎市中原区の等々力緑地も砂利採取跡地で、緑地内に残っている 池はその時にできたものだ。


●左岸●●右岸●
宇奈根(東京都世田谷区)宇奈根(川崎市高津区)

  ここも飛地であったものが明治の末に東京府と神奈川県に別れたものだ。


●左岸●●右岸●
上野毛・野毛(東京都世田谷区)下野毛(川崎市高津区)

  ここも等々力と同じよな経緯で別れたらしい。右岸側で旧流路の跡がわかる。


●左岸●●右岸●
瀬田(東京都世田谷区)瀬田(川崎市高津区)
中和泉・元和泉・東和泉(東京都世田谷区)和泉(川崎市多摩区)
布田(東京都調布市)布田(川崎市多摩区)

●左岸●●右岸●
押立町(東京都府中市)押立(東京都稲城市)

  左岸にあった押立村が対岸に新田を開拓して「向押立村」とした。明治以降 も北多麿郡多麿村の飛地だったが、1949年に府中町から現在の稲城市域に編入 された。


●左岸●●右岸●
石田(国立市)石田(日野市)

  日野村石田の人々が谷保村へ移住した(洪水の影響か?)ものとされる。


  これらの地名は現在でも両岸に地名が残っているが、他にも、以前は両岸同 一地名であっても、新町名の施行等で消えてしまった例は多数あったと思われ る。また、東京と神奈川の間では、流路変化で対岸になってしまった土地を相 互に交換することを度々行なっていたようだ。
  こうした例をふまえつつ、次回は幾つかの同一地名の数奇な運命をたどって みたい。

以上



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