21世紀 ―IT時代の到来―(設立60周年記念)|東京地図研究社|地理空間情報で未来社会を切り拓く

激動60年の軌跡HISTORY

21世紀 ―IT時代の到来―

CAD型地図入力システムの導入

NIGMASでの作業風景  『発展期』に記したように、東京地図研究社のデジタルへの移行は地下埋設物のデジタル化作業から始まった。VAXというオフコンを使用し、デジタイザーで図面をトレースする作業が主体であった。当時はフィルムベースで地図の原板を作成し印刷することが普通だった。それから10年ほど経て、大手地図出版社が所有している地図の印刷原板をベクトルデータへ移行する業務を受注し、PC用のCAD型地図入力システム「NIGMAS」を導入した。
 これ以降、PCによる地図作成業務を数多く受注することになる。汎用的なデジタル地図の作成実績もなく、右も左も分からない状況からのスタートだったが、開発元による手厚いサポートもあって、次第に多くの作業をこなせるようになっていった。とはいえ、社内では初めてPCを扱うスタッフも多く、マウスの扱い方から教えることもあり、顧客側もまた地図データの扱いにまだ不慣れであったため、デジタル地図を大型プリンターで印刷してから使用することも珍しくない状況であった。
 システムを管理できる人材や、ソフトのライセンス数もPCの台数も限られていたため、昼夜二勤体制を取り入れるなど苦労もあったが、アルバイトを含めたスタッフの奮闘で、デジタル地図作成のノウハウは着実に蓄積されていった。論理点検などアナログ時代ではあり得なかった項目も多くあったが、地図作成の業務という本質に変わりはなく、デジタル地図の基本的なスキルが常に必要であることを会社として共有できたのは大きな収穫であった。

国土地理院2万5千分1地形図のベクトル編集

国土地理院2万5千分1地形図  21世紀に入るとデジタル化業務の比率が高くなり、作業室のライトテーブルや製図台はワークステーションやPC用のデスクとして置き換わっていった。特に国土地理院の2万5千分1地形図データの更新業務においては、それまでのラスタデータでの編集ではなく、地理院が開発した「NTIS」というベクトルデータを扱う新地形図情報システムを利用した更新業務を毎年受注するようになった。
 ベクトル形式での編集手法は斬新だったが、編集単位が地方自治体単位だったため、情報量の大きい市町村が対象となるとPCの動作も遅くなってしまい、編集データがおかしくなってしまうトラブルを何度も経験した。それでも試行錯誤と工夫を積み重ね、この新しい編集業務へ果敢に取り組んだ。40年間のアナログ作業で培った調製技術を持つベテラン社員と、比較的デジタルに慣れていた大卒の新入社員がタッグを組み、グループで夜遅くまで新システムを試行し、意見を交わし合いながら、デジタル版の地形図の完成に向けて遂行した。また日々こうした業務を繰り返すことで、ベテラン社員から若手社員への技術継承と、ベテラン社員のデジタル技術習得も同時に浸透していった。
 その後、国土地理院の業務をはじめとして、地図のベクトル化作業や、ベクトルデータを扱う業務は一気に増えた。社内でも業務用コンピューター、大型のプロッターやスキャナなどのIT機器が多数導入され、社員1人にデスクトップPC1台が割り当てられる状態となり、業務には必須のアイテムとなっていった。GTセンターの社員たちもこの大変革に対応すべく、デジタルによる地図作成技術の習得に奔走し続けた。

写真測量図化業務への参入とデジタル図化への転換

ステレオプロッターでの図化の様子  時代の変遷で、地図作成がアナログからPCで作成するデジタル地図に変わるとともに、今まで製図を中心としていた東京地図研究社も新しい技術を取り込み、仕事の幅を着実に広げていた。そんな中、大手航空測量会社からの後押しもあり、地図作成の基本にある写真測量の図化から、編集までの一連の作業をデジタルで行う作業にも取り組むことになった。
 当時、社内に図化機はなかったため、中古のステレオプロッターA8(スイス製)の購入を決定し、写真測量の中心にある図化技術の導入に挑んだ。当時は、アナログ図化機のハンドル(X,Y,Z盤)にエンコーダという装置を取り付け、デジタルデータをコンピューターで取得する方法が一般的であった。東京地図研究社も他社からの手助けを受けながら、もともと現像室だった部屋を図化室として改造し、ついに図化機1台を設置するに至った。
 ただ、新しい図化技術は社内だけでは習得が難しかったため、大手航空測量会社の協力も得つつ、2年以上の歳月をかけてようやくその技術を習得することができた。数年後、さらにTOPO-B(ドイツ製)という図化機も導入し、都合2台で図化作業を行える体制を整えたが、やがて空中写真もデジタル方式に変わってフィルムが姿を消すことになると、同時に東京地図研究社もアナログ図化機からデジタル図化機へと設備も変更することになった。
 その後は、3次元データや災害に関するデータ作成、衛星画像からの地図作成作業など、デジタル図化機による新しい技術の導入へ積極的に取り組んだ。また、デジタルへの移行で役目を終えた後も、しばらく部屋の片隅に鎮座していたA8は当社の行く末を静かに見守っていたが、図化室をサーバールームへ改装することになった際、専門業者によって引き取られ、10数年にわたる生涯を終えることになった。こうした貴重な経験やアナログからデジタルまで対応できる図化のノウハウが、本格的なGISへの移行の礎となっていったのは間違いない。

カーナビの普及から始まった現地調査業務

現地調査  地図のデジタル化が一般社会にも浸透していく大きなきっかけとなったのはカーナビの普及である。PCの高速化・大容量化に伴い、カーナビに搭載する地図情報そのものも多様多彩なものとなっていく。東京地図研究社でもカーナビ用の地図データ制作会社から業務を受注することが増えていった。
 特に1999年頃からの数年間は、まだGoogleストリートビューも公開されておらず、カーナビの基礎的な情報(信号機の位置、道路標識の位置・内容、車線数や舗装状況など)を取得するため、社用車やレンタカーにカメラを取り付けて、社員や多くの協力メンバーが沖縄を除く全国各地を走り回った。こうして走行中のクルマで撮影した連続写真は、大量のHDDに格納して社内に持ち帰り、カーナビの路線データの入力作業に使われた。
 基礎的な情報が整備された後も地図は常に更新が必要となるため、定期的に調査へ出向く必要がある。また、新たな需要に応じて様々な調査作業の依頼も増加し、現地調査作業の割合は飛躍的に高まっていった。加えて、歩行者ナビゲーション用のデータ整備も次第に盛んになり、公共交通機関を対象にした調査業務も多数受注するようになった。
 情報収集のため、スタッフが自ら直接現地に赴き調査を行うことも数多くあった。調査対象となるのは、地図データに含まれている注記の変化情報のほか、バス停の配置、車両による調査が困難な駅の中や地下通路の情報など多岐に渡った。また、調査エリアは関東圏のみならず全国各地、あるいは海外の複数都市にまで及び、調査・滞在スケジュールの都合上、雨が降りしきる中で一日中野外を歩きまわることも少なくなかった。諸外国での現地調査では、現地で日本人ネットワークを活用して即席の調査チームを作ったり、アルバイト掲示板のようなサービスで調査員を募集したりと、四苦八苦して編成を組んでいた。一方で、日本とは異なる公共交通機関の仕組みを目の当たりにできる、非常に貴重な機会となったのも事実である。
 こうした調査量の増加に伴って、現地調査を得意とする社外スタッフにも協力を仰ぐこととなり、そのうち数名のメンバーは長年にわたって現地調査に協力してもらっており、現在も頼れる戦力となっている。